死者と生きる未来

これから書く文章の中には、読者のみなさんにとって、不愉快に感じられる箇所があるかもしれない。そのことをお許し願いたい。

わたしは大学を卒業していない。入学したが、わけあって大学を離れた。親や友人との交際も絶って、肉体労働をしながら、小さな小さな世界で生きた20代だった。

20代の終わり頃、腰を痛め、肉体労働もできなくなった。妻子とも別れ、養育費を送る身だったのに、金を稼ぐ術を失った。おまけに、ひどいギャンブル依存症になっていた。つてをたどり、やれる仕事は、他人にはいえないようなものでもやった。その一つが「女衒(ぜげん)」だった。簡単にいうなら、売春の斡旋である。

インターネットなどなかったから、三流夕刊紙に、内容をほのめかした広告を出す。男たちが電話をかけてきて、その男たちに女の子を紹介する。そんな、ヤクザがやっている商売の一番下っぱの仕事をした。わたしは、もっぱら新大久保のラブホテルに女の子を届ける役だった。ホテルの部屋の前まで行き、金を受けとり、女の子を渡す。明らかにおかしい男もいた。酔っぱらいもヤクザも。だが、それは、わたしの知ったことではなかった。

首を締められた子も、後ろ手に縛られ、犯されるようにやられた子も、いきなり注射をうたれた子もいた。幸いなことに死んだ子だけはいなかったが。

高校生の女の子がひとり、紛れ込んできたことがあった。学生証を見たから、間違いはなかったと思う。なぜ、そんなところにやって来たのかわたしは知らなかった。わたしは、いつものように、ラブホテルの部屋の前まで行き、ドアを開け、金を受けとった。男は、最悪より少し上という感じだった。わたしは、女の子を男に渡し、すぐ近くの、事務所という名の荷物置き場のような部屋で待ち、90分後にホテルに戻った。女の子は青ざめた顔つきになっていた。

わたしたちは、「事務所」に戻り、迎えの車を待っていた。そのとき、女の子が、なにかを呟いた。

「あたし……」
「なに、なにいってんの?」とわたしは訊ねた。女の子はもう一度はっきりいった。
「あたし、魂を殺しちゃった」

それから、女の子は、持っていた小さなポーチに左手を入れ、剃刀を出し、右の手首に当てて引いた。切ったのは静脈で、だから、血は噴出することもなく、けれど大量に流れ出した。わたしは、剃刀をとりあげ、ごみ箱に放り込んだ。そして、女の子の右手を持ち、高く掲げ、トイレに向かい、そこまで女の子の手を持ったまま歩いていって、タオルを見つけ、出血している場所の少し下で固く縛った。女の子は、反抗することもなく、ことばを発することもなく、人形のようにおとなしく、わたしについて来た。それから、その縛った手をまだ高く掲げたまま、「上」に電話をした。すぐに、「上」の連中がやって来て、わたしの不注意を叱りつけ、そのまま女の子をどこかへ連れていった。その女の子とはそれ以来会っていない。

そのすべてが愚かしいようにわたしには思えた。なによりわたしが驚いたのは、わたしが少しも、その女の子に同情していなかったことだった。わたしは、その哀れな女の子を痛ましいと思うべきだったのだろう。けれども、わたしには、そんな感情が少しも沸いてはこなかった。「自分には関係のないことだ」というのが正直な気持だった。いや、まるで、当てつけのように、目の前で手首を切ったその女の子を、わたしはどちらかというと憎んでいたように思う。それから、なお2週間、わたしは「女衒」を続け、その後やめた。それから35年、新大久保には近づかなかった。わたしが作家としてデビューしたのは、その2年後だった。

それからも、時々、わたしは、その女の子のことを考えた。

どうして、わたしはなにも感じなかったのだろう。どうして、同情ではなく、腹立たしい思いがしたのだろう。手首を切ったことではなく、「魂を殺しちゃった」といった、その、まるで小説の中のセリフみたいなことばを使ったことに、憎しみを抱いたのかもしれない。なぜなら、彼女には、確かに、そのことばを使う資格があるように、わたしにも思えたからだ。そして、そのことばによって、わたしを責めているように、思えた。

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